生活哲学とは 日常生活を見つめ自分を活かし 他者を活かす道を考えること

生活哲学学会 第Ⅱ期開講によせて

お茶の水女子大学教授 半田 智久

貴学会第二期の開催おめでとうございます。今期はわたしが大学でおこなっている授業を外伝というかたちでコラボレーションさせていただくことになりました。これに至った経緯と動機をふたつ記しておきます。ひとつは、ある勉強会に本学会の設立者である辰巳渚さんを現,代表理事である野上秀子さんがお連れになったことに端を発します。辰巳さんがお茶の水女子大学の卒業生であったという機縁もあり、母校で学生たちと一緒に生活哲学に関する勉強会を開くという企画が持ちあがりました。ご承知のごとく話が具体化する矢先、辰巳さんは唐突に旅立たれてしまわれました。ですから、これはそのご遺志を継いで果たすべき約束という、そうした思いがございます。
もうひとつにはそのときの企画でも思いをすり合わせていたことです。「生活」すなわち単に生きているというのではなく、活き活きと生きるという、このことばが伝えるメーセージを、哲学するということ、これは端的には古代アテネにおいて、ソクラテス-プラトンからアリストテレスへと一貫して強調されていた「よく生きる」ことの哲学に重なるということです。
師の思想を継いだアリストテレスの場合は「よく生きる」=生・活を支える知に賢慮、フロネーシスをとらえ、ここに無常、偶然性に生きる生物の実際行為をみわけました。ここでなにと分けたかといえば、必然性を抽象し普遍的に一般化させうる法則やセオリーをみちびくソフィアの知恵でした。この知の見分けもまたひとつのだいじな「整理」にほかなりませんが、この後者ソフィアはたとえば、本学では学部名称ともなっている生活科学という名のもとで養い磨く知です。ですから、その旗印のもとではどうしてもソフィアに傾く学びが主眼となります。フロネーシスは賢慮というよりむしろ遠慮して退縮してしまいがちです。そのフロネーシスの姿に近代女性の姿を容易に重ねみてしまうのはわたしだけではないでしょう。おそらくそのことも手伝って、とりわけ近現代の女子大学はある種の使命感さえもって、ことさらにソフィアに向かう知にこだわりをもってきたともいえそうです。
しかし21世紀に入って、はや20年、学問も社会も多くにおいて転機が迫られていることは申すまでもありません。そこに求められていることの典型が、これまで看過してきたこと、すなわち活き活きと生きることの知の養いと学びであり、それをたぎらせて、その「生・活」の場をこの社会に息づかせ、否、華開かせることだろう、と思っているのです。
そうしたことで、本学の場も使いながら、このコラボレーションができることは、ちょっとしたワクワク感のある冒険を含んでいます。大きくいえばこの一歩が綜合知を目指す「大」きな「学」びへの前進になれば、と思っております。

コンセプトワークショップ代表 佐藤修

「成熟社会」と言われ出して、すでにかなり経ちました。
しかし、成熟とは裏腹に、最近は社会のほころびが目立ちます。
豊かな社会になったはずなのに、どこか生きにくさを感じている人も多いでしょう。
経済や政治にも、かつてのような輝きはなく、袋小路にはいったように元気がありません。それどころか、そこで暮らしている人たちの笑顔も少なくなりました。なにかが間違っている、としか思えません。
これまでの経済や政治の基本的な枠組みが問われているのでしょう。
そもそも「エコノミクス」(経済学)の語源は古代ギリシアのオイコノミクスに由来しています。
オイコノミクス、「家政」は、社会の基本である家族の生活を支えるものでした。それがあったからこそ、アテネの政治(都市国家)は成り立っていました。
人びとの生活を支える基盤である「家政」がしっかりしていればこそ、それを支える社会も豊かになります。
経済は、本来は「経世済民」というように、人々の生活を支え豊かにするものでした。世と民、社会と個人をつなぐものでした。しかし経済成長重視で、金銭主導の昨今の経済は、果たしてそうなっているでしょうか。
個人の生活とは無縁な経済成長が語られ、経済成長によって格差社会が生まれてきているとしたら、本末転倒としか言えません。政治は、家政の土台の上で、家政を支えるものとしてありましたが、その政治も最近は、生活とはかけ離れた存在になってしまっています。
経済と政治は、個人の生活と全体社会のあり方を決めていきます。これまでは、経済も政治もどちらかといえば、社会全体の視点から捉えられてきましたが、社会が成熟してきた今、人びとの生活の視点から、改めて経済や政治を捉え直していくことが必要になってきています。
生活哲学学会は、その基軸に「生活哲学」を置いています。それは、難しいことではなくごく普通の人々が日常生活においてもっている意見や情報を基にして、それを批判的に吟味し、そこから新しい価値を見つけていくという、哲学の起点ともいうべき姿勢です。
さらにいえば、そこから現在の政治や経済、あるいは社会のありようを、実践的に変えていこうということでもあります。その担い手は、言うまでもなく、しっかりと「生活」している人たちです。単なる「言葉の人」ではありません。
言葉で語るのではなく、生活にしっかりとつながる実践で語り合う、そんな「学び」と「創作」の場を是非作っていきたいという代表理事野上秀子さんの熱意に共感し皆さんとご一緒出来ることを楽しみにしています。

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